私たちは情報的な存在です。
抽象度の高い情報空間にある情報が私たちの本体です。
そして、その情報は物理空間に影を落とします。
つまり、私たちは情報空間にある情報の写像なのです。
たとえば、セルフイメージが変わると私たちの行動や考えも変わります。
セルフイメージは、情報空間の情報です。
そういう意味で、私たちという存在は情報空間の写像なのです。
セルフイメージは常に揺れ動いています。
自分にとって臨場感の高いセルフイメージがその時その時に選ばれて、その影である私たちの存在に大きな影響を与えているのです。
そのような様を、一念三千刹那舜といいます。
時間は連続的なものではなく離散的なものです。
つまり時間には最小単位があります。
それを、刹那舜と言います。
一兆×一兆×一千億秒分の一という非常に短い単位のことです。
時間には刹那舜という長さの断層があります。
その断層を飛び越えていくのが生命現象です。
その時に生命情報がコピーされていきます。
一念三千というのは、刹那旬にコピーされている情報です。
私たち自身の現在や過去の記憶や未来やセルフイメージも一瞬のうちに生まれては消えてまた生まれます。
つまり、私たちは刹那旬のうちに生まれ変わっているのです。
現状という可能世界からゴールの間には、無限の数の可能世界があります。
ゴールを設定して可能世界を移動しながらゴールに近づいていくイメージです。
なぜなら、ゴールとは現状の外側に設定するものなので言語化できない場合が多く一直線にゴールに向かう方法が分からないのもだからです。
可能世界から可能世界への到達可能性関数は、知識です。
移動したい可能世界に関する知識を得ることで刹那舜のうちに移動することが出来ます。
重要な新しい知識を得るともうその知識がない世界には戻れません。
違う可能世界の住人になります。
知識は文字という形で認識して思考することで整合性の高い知識空間が頭の中に生まれます。
その情報空間の情報が私たちに大きな影響を与えます。
私たちは情報的な存在です。
抽象度の高い情報空間にある情報が私たちの本体です。
そして、その情報は物理空間に影を落とします。
つまり、私たちは情報空間にある情報の写像なのです。
苫米地式コーチング認定コーチ 渡辺 実